弥生ちゃんのヒメゴト =20=
それからまたもうちょっと走ったところで塀が途切れた。
目の前に現れた鉄製の門扉は、トラックが突っ込んでもびくともしなそうだ。
こんな扉を開けるにはどんな呪文がいるんだろうと半ば本気で思っていると、門柱の横にある通用口から男の人が出てきた。
よく見ると、門の両側に防犯カメラが取り付けられていて、それで門前の人や車の往来をチェックしているようだ。
高い塀といい頑丈そうな門といい監視カメラといい、テレビや映画で観る重警備の要塞とか政府高官の家とかみたい……中にはよっぽど偉い人が住んでいるのかしら?
ただ、出てきた男の人にはあたしにも見覚えがある独特の雰囲気があった。
屈強そうな体躯に黒っぽいスーツ、ちょうど、となりにいる風間さんによく似てる。
その人は眇めるようにしてフロントガラスの中を覗き込み、そこにいるのが風間さんだとわかると、体育会系の運動部員よろしく気をつけしてからお辞儀をした。
いつも風間さんが圭介さんにするみたいに。
彼はスーツの襟に付けられたマイクに何か言い、門はすぐに重たい音を立てて開いた。
あたしを乗せ、風間さんの運転する車は白い砂利を踏んで邸内に乗り入れる。
風間さんがエンジンを切ったのは、大きな和風のお屋敷の前の車止めだった。
門に表札はなかったけど、その建物の入り口には見事な字で「関東総和会」と墨書された分厚い木の板が掲げてある。
門前で、通用口から出てきた男の人を見たときからわかってた。
ここがきっと圭介さんの家、――広域指定暴力団「関東総和会」の本家だってこと。
たぶん、もしここに100人いてもそのほとんどの人が一生、関わることのない世界。
忌み恐れられ、眉を顰められ、声に出して話すことを憚られる、多くの人の日常とはまったく隔絶した世界。
そこに身を置く人たち自らが、裏の社会と呼ぶ世界。
圭介さんは、そんな世界にあたしを染めたくはないと言っていた。
あたしだって、好きな人の生きる世界だから知りたいなんて言ってはみたけど、心のどこかでは自身が足を踏み入れることなんてないだろうとたかをくくっていたところもある。
それが今……。
まさに「関東総和会」の総本山と言うべき場所を目の前にして。
メディアで見聞きしたものによるイメージでしかなかったものが、確固とした輪郭を持つ現実へと変わろうとしてる。
あたしは、ごくりと唾を飲み込んだ。
風間さんはそんなあたしの肩に軽く手を置いて、「それじゃ、実子に会いに参りましょうか」と言った。
「はい……」
小さな声で返事をしたあたしに、風間さんは少し苦笑する。
「どうしたんですか、急にしおらしくなってしまって」
「だって、あたし……これから圭介さんに叱られに行くんですよ」
「それは、まあ……そうですが」
「あたし今、自分の浅はかさに本気で腹立ってます」
「今さら言っても仕方がないですよ、もう起きてしまったことですから」
確かにそう、もう起きてしまったことだ。
いくら悔やんでも帳消しにはできない。
「軽率なことして心配かけたこと、素直に謝ります」
「それが賢明です。……まあ、実子も今回は怒りにばかり任せて腹を立てているわけでもないようですし」
「そうですか?」
「お会いになればわかることですがね」
風間さんは、そこまで言って初めて少し面白がるような顔をして、笑った。
「さあ、いつまでもお嬢さんが姿を見せないことに痺れを切らした実子が、今度こそ本格的に切れた、なんてことにならないうちに参りましょう」
ぶるっと、武者震いがきた。
つづく


2016年12月13日 弥生ちゃんのヒメゴト トラックバック:0 コメント:0