Love is... =19=
矢野さんの車は、静かな住宅街の中をしばらく走ったあと、大きな家の前で止まった。
中世を舞台にした外国の映画にでも出てきそうな、豪奢なつくりの邸宅だった。
ここですよ、と彼は言い、サイドブレーキを引いた。
「あの、ここは、……どなたかのお宅なんですか?」
思わず尋ねた私に、彼は微かに苦笑する。
「看板らしいものも出ていないからそうは見えませんが、中は会員制のレストランになっています。芸能人なんかがお忍びで現れるので有名な店ですよ」
「あ…、そ、そうなんですか、なるほど……」
私は、少し赤くなって適当に相槌を打つ。
私という人間は、どうしてこうも疎いのだろうか。
それにしても、と私は運転席に座る矢野さんの横顔を覗う。
勢いで「行く」と言ってしまったはいいものの、大通りを逸れてどんどん人気のない住宅街の奥へと車を進める彼に、これはまんまといっぱい食わされたのではないか、このまま妙なところへ連れ込まれるのではないか、と不安に思い始めていた私は、些か自意識過剰だったと反省した。
もしかすると、この矢野という男性は、私が第一印象で嫌なタイプだと決め付けているだけで、実際には見た目の通り、律儀で真面目な人なのかも知れない。
大して長くは待たないうちに、映画のセットみたいな大きな白いドアが両側から開き、黒服姿の従業員に送られて、1組の男女が姿を現した。
緩く腕を組み、親しげな様子で笑みを交わしているのは、30前くらいかと思える女性と、見間違うはずもないその人。
「滝沢君……」
私は、フロントガラスに身を乗り出して、その姿を見つめた。
彼の笑顔は、まったく自然なものだった。
誰にでも愛想が良くとっつきやすい代わりに、自身の内面に踏み込まれることを極端に嫌う人。ポーカーフェイスで、よほど心を許さなければ本心の半分も覗かせない人。
だからこそ、私は自分に向けられた彼の笑顔と、他の人に向けられたそれをはっきりと区別することができた。
子犬が飼い主に尻尾を振るときのような人懐こい笑顔、少年ぽさを残しながらも慈愛と包容力に溢れた笑顔、それは私だけが甘受できるものであったはずなのに。
今、目の前で翼君と一緒にいる見知らぬ女性は、確かに同じ笑顔を向けられていた。
私にとってさらにショックだったのは、彼女があまりにも「普通」の人だったことだ。
彼らが出てきたばかりの店の雰囲気から推して、私は、彼のお相手には、「彼と同年代でいかにもお嬢様風の美人」、あるいは「リッチな雰囲気を纏ったお金持ちの有閑マダム」を想像していた。
なのに、その女性は、見る限り私よりもいくつか年上で、着ている服だってどちらかといえば地味な方で、ずば抜けて美人というわけでもなく、スタイルが抜群に良いというわけでもなく、私が言うのもなんだけど、決して万人を惹きつける魅力のある人ではなかった。
翼君がもし、私よりこの人を選んだのだとしたら、彼女の何が私よりも優れていたのだろう、彼は彼女の何に惹かれたのだろうと、不遜にも思わずにはいられないような女性だ。
「さすがは元出張ホストと言うべきか、年上の女性の扱いも慣れたものじゃないですか」
矢野さんは皮肉な口調で、元、というところを強調するような言い方をした。
けれども、そう言われた私までもが頷かずにはいられないほど、翼君の態度にはそつがなく、またあくまでも優しげに見えた。
翼君は、片手を挙げて通りがかったタクシーを止めると、女性の背中を軽く押すようにして後部座席に座らせた。
「おや、これから2人でどこかへしけ込むのかと思いましたが、違ったようですね」
矢野さんの言う通り、翼君は女性と一緒には乗らなかった。
ただ、窓を開けた女性と顔を寄せ合って、二言三言の会話を交わしてから、軽く手を振って走り出したタクシーを見送った。
つづく


2016年10月17日 Love is... トラックバック:0 コメント:0