赤ちゃんが欲しい =5=
帰りの車中には、気まずい沈黙が満ちていた。
気まずいとは言っても、お互いに腹を立てていたわけではない。
佐和子は、自分の体調不良が、幸太郎に余計な心配をかけたこと、そして要らぬ期待を抱かせてしまったことを、申し訳なく思っていた。
一方の幸太郎は、篠子の言葉に少なからず影響されたとはいえ、先走りもいいところの早とちりで、佐和子に恥をかかせてしまったと思った。
むしろ、お互いに相手のことを気遣うからこそ、言葉を発し難かったというべきだろう。
「この場合、幸いなことにと言っていいのか、残念ながらと言うべきか……」
続く言葉を選ぶように、しばらく幸太郎と佐和子の顔を交互に眺めていた院長は、やがてふっと息を吐くと、静かに口を開いた。
「結論から言うと……佐和子君の妊娠反応は陰性だった、つまり、現時点で君が妊娠している可能性はゼロだということになるね」
それを聞いてはっと顔を上げた佐和子に、院長は微笑みかけた。
「残念かね?」
「……よく、わかりません」
「幸太郎君はどうかね?」
「もちろん、残念ではありますが……失望したというのとも違うような気がします。こればかりは、願ってどうにかなるものでもないと思いますし」
「うん、その通りだ。子供は、望んだから手に入るというものではないし、その逆に、どんなに望んでも授からない場合もある。まさに、神様の思し召しだな」
そう言って、院長は佐和子の膝の辺りを手のひらで軽く叩いた。
「今回は、君たちにとって、まだその時期ではなかったということだ」
幸太郎と佐和子は、どちらともなく顔を見合わせた。
時期……。
それは、今の幸太郎や佐和子には、子供を持つ資格がまだないという意味だろうか。
「親になるというのは大変なことだよ。君たちはまだ若いんだし、その覚悟や心構えができてからでも遅くはないと思うがね」
院長の言葉を聞きながら、その通りだと佐和子は思った。
自分自身、まだまだ幸太郎に負んぶに抱っこの子供なのだ。
こんな自分が親になるなんて、今はまだ考えられない。
そして、幸太郎も、今回のことを深く反省していた。
佐和子は怖い思いをしただろう、落ち度があったとすればそれは自分の方だ。
「君たちは、愛し合っているのだろう?」
佐和子のカルテをホルダーにしまい込みながら、院長は言った。
「君たちの未来がしっかりと形になって、新しい生命が芽生えたときには、私も心から祝福させてもらうよ」
「幸太郎……ごめんね」
マンションに帰り着くなり、佐和子は言った。
ネクタイを緩めながら彼女の前を歩いていた幸太郎が、訝しげな様子で振り返る。
「何を謝っている?」
「だって、あたし……余計な心配かけた上に、会社まで早退させて、病院にまで連れて行ってもらったのに……結局は無駄足だったじゃない」
「無駄足なんかじゃねえだろう、軽い胃炎だってわかって薬ももらったんだし」
忘れないようにしっかり飲めよ、と医院の名前が入った薬袋を差し出す幸太郎。
それを受け取りながら、佐和子はちらりと彼の顔色を窺った。
「あたしが言ってるのは、そういう意味じゃなくて……」
妊娠しているかも知れない、と告げられたときから、ずっと気にかかっていた。
幸太郎が、自分との子供を望んでいるのかどうかということ。
「幸太郎、……赤ちゃん、欲しかった?」
リビングのソファに腰を下ろした幸太郎は、その意味を量りかねて彼女を見上げた。
「わからねえな。できたって言われりゃ、もちろん嬉しかったかも知れねえけど、今回はこういう結果になって、正直、ホッとしてるってのもあるしな」
「そっか……」
やっぱり、幸太郎も不安だったんだ……。
無理もないと佐和子は思う。
今まで、何不自由なく育ってきたお坊ちゃまなのだ。
いきなり、子供ができたから責任を取れと言われても、戸惑うのが当然だろう。
「お前は、どうだったんだよ」
幸太郎は、佐和子の手を取って引き寄せながら、そう尋ねた。
「どうかな、やっぱりよくわかんない……自分が親になるなんて想像もできないし」
正直に、佐和子は答えた。
「幸太郎だって、自分の子供だもの、こんなどこの馬の骨ともわからないあたしより、家柄が良くて美人のお嬢様が産んでくれた方が嬉しいでしょう?」
「アホか、意味のわからねえこと言ってんじゃねえよ」
軽くいなすように額を小突かれて、佐和子は唇を尖らせる。
「アホとは何よ、人が真面目に話してるのに」
「こっちだって大真面目だ、犬猫の血統書じゃあるまいし、家柄もくそもねえだろう」
幸太郎は、言いながら佐和子をソファの上に押し倒した。
「あのな、子供ってのは、いわゆるえっちってのをしなけりゃできないんだぜ? それとも何か、お前は俺が別の女と子作りしちゃっても構いませんとでも言うわけ?」
「そんなこと、あるわけないじゃない」
「だろ? だったら2度とバカなこと言うな」
「だって――」
言いかけた佐和子の口を、幸太郎が塞ぐ。
佐和子以外の女など抱きたいとも思わない。
育ちがどうであれ自分にとって最高の女は佐和子なのだ、何度同じことを言わせるのかと、彼は少し腹立たしささえ感じた。
「俺の子供を産むのはお前だ、佐和子……俺は、お前しか愛せないんだからな」
「幸太郎……」
「お前の具合が悪くなきゃ、じっくり身体に教え込んでやるとこだ、まったく」
幸太郎は、苦笑しながら少し顔を顰めた。
額、頬、鼻の頭、次々と落とされる優しいキスが、彼の心情を率直に伝えていた。
ああ……あたし、やっぱり好きだ、幸太郎のこと。
ずっとこのまま、彼の傍で一生を終えたい。
「幸太郎、グレープフルーツ買ってくるの、忘れたでしょ?」
唐突に尋ねられ、幸太郎は目を瞬いた。
「ん? ああ、さっきは気が急いちまって、それどころじゃなかったからな」
そんなに食いてえなら、今から買ってきてやろうか、そう言って身体を起こしかける幸太郎の背中に腕を回し、佐和子は彼を引き止めた。
「ううん、もういい。その代わり……」
ぎゅっと抱きつき、広い胸に顔を埋める。
このぬくもりが、いつまでも自分のものであって欲しいと心から願う。
「あたし、もっと欲しいものができたの。聞いてくれる?」
「佐和子がおねだりか、珍しいな。よし、何でも言ってみろ」
幸太郎に促され、佐和子はそれを口に出した。
「あたし、赤ちゃんが欲しい。幸太郎と、あたし……2人の赤ちゃんが」
その願いは、もちろん幸太郎を驚かせたけれど、同時に喜ばせもした。
自分もそれを望んでいるのだと、あらためて彼は思った。
だから、彼は答えた。
「そうだな……いつか時が来たら、な」
それは、きっとそう遠くない未来。
愛し合う2人には、迷うことなどもう必要ないのだから。
= fin =
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2016年09月28日 みんなの萌え台詞と萌えシチュで20のお題 トラックバック:0 コメント:0