Blind Spot =8=
脱力したあたしは、顔からベッドに突っ伏した。
直人も、そんなあたしに覆いかぶさるようにして倒れこみ、お互いの呼吸が落ち着くまで、あたしたちは重なり合ったままじっとしていた。
「美桜……」
しばらくして起き上がった彼は、縛られたままのあたしの手首を、慈しむように撫でた。
「ごめんな……ちょっとやりすぎた、辛かっただろ?」
「ううん、大丈夫……」
戒めが解かれると、痺れていた指先に感覚が戻ってきて、少しだけじんじんした。
タオル地で擦れた場所が、赤い痕になって残ってる。
「ホント、ごめん……自分がこんな鬼畜な真似できるやつだとは思わなかった」
嫉妬って怖いな、そう言って、直人は自嘲気味に笑った。
「もういいよ……最初は確かにびっくりしたけど、…嬉しかったから」
「嬉しかった? あんなことされて?」
怪訝そうに眉を寄せる直人に、あたしは頷いた。
「直人、あたしの仕事にすごく理解あるでしょ、自分の彼女が風俗嬢だなんて、絶対に楽しくないはずなのに、無理に辞めろとも言わないし……それは、直人があたしを認めてくれてるってことだし、信じていてもくれてるんだとは思ったの。でもね、勝手かも知れないけど、ホントは少し物足りなかった」
並んで横たわる直人の頬に、そっと触れる。
大好きな人のぬくもりは、いつもとても心地いい。
「直人は、仕事とはいえ、あたしが他の男の人とえっちしてても平気なのかなって、あたしが直人のことを想うほどには、あたしのことを想ってくれていないんじゃないかって」
それを聞いて、直人はいかにも心外そうに目をむいた。
「冗談だろ、こっちはいつだって、そのころお前を抱いてるはずの、顔も知らない男たちに嫉妬しながら悶々としてたのに」
「あたしだって、目の前にいるのが直人だったらいいのにって、思いながら仕事してるよ。直人以外の人とえっちするのなんて、全然楽しくないよ」
あたしと直人は、どちらともなく顔を見合わせた。
お互いの表情から、どちらも同じようなことを考えているのがわかって、笑いが洩れた。
「あのね、ホントのこと言うと……あたしね、もう予約を入れないでもらってるし、新規のお客さんも取らないようにしてるんだ。雑誌なんかでうちのお店が紹介されるときも、亜紗妃の名前は出さないようになってる。全部、社長の配慮なの」
「悠人兄さんの?」
うちの店の社長が直人のお兄ちゃんだってこと、あたしは直人と付き合うようになったあとで知った。家族に会ってくれと言われて、引き合わされたのが社長だったときには、文字通り肝を潰したものだ。
だって、「ベビードール」の社長といえば、風俗チェーン店を全国展開する、この業界では寵児と呼ばれるくらいの有名人。
そんな稀代の大立者と、硬派で不器用で、あたしと付き合うまでは恋愛経験ゼロだったっていう晩熟の直人が実の兄弟だなんて、誰が想像すると思う?
「社長ね、あたしの顔を見る度、早くこんな世界から足洗って堅気になれ、それが直人のためだってお説教するの。もう耳タコだよ」
直人は笑って、悠人兄さんらしいな、と言った。
「ソープの仕事には未練なんてないの。でも、お世話になった社長と、こんなあたしを気に入ってくれたお客さんには、きちんと礼を尽くして、後腐れのないようにして辞めたい。気取った言い方に聞こえるかも知れないけど、それが礼儀だしけじめだと思うんだ」
「……わかるよ、美桜の言いたいこと」
「だからね、もうちょっとだけ、直人には我慢してもらわないとならないけど……待っててくれる? あたしが、……本当の意味できれいな身体になるまで」
そう言うあたしを、直人は、長い腕を回してぎゅうっと抱きしめてくれた。
「ああ、待つよ。その間に、俺も、もっと大人の男になれるように努力する」
このとき、直人に会えて良かったって、心から思った。
世の中には、綺麗事で済まされないことってたくさんある。
憤慨したり、諦めたり、譲歩したり、妥協したり、人が生きていく上で、自分の思い通りにならない場面も、幾度となくある。
だけど、そういう場面で挫けそうになっても、となりを歩いている誰かが、笑顔で手を引いてくれたら、また頑張って歩き続けようって思える。
そして今、あたしのとなりを一緒に歩いてくれている人は、直人だ。
「それに、その……ストレスとか溜まったら、また……さっきみたいなことしてもいいし」
「さっきみたいなこと?」
「うん……なんて言うか、縛ったり? ソフトなやつなら、たまにはいいかなあと思って」
直人は、ちょっと意外そうに眉を上げて、それから意味ありげな笑顔になった。
「何、お前……もしかして、本当に感じてた?」
「ちっ、違うよ、バカ! そういうんじゃなくて、もし直人がしたいならって意味!」
慌てて否定しても、直人の顔に浮かんだニヤニヤ笑いは消えない。
「へ~え、美桜ってわりと女王様タイプかと思ってたけど、そっちの気もあるんだ」
「そっちの気って何の気よ、もうっ」
あたしだって、自分があんなに興奮するなんて思ってなかった。
「直人だって、初めてとは思えないくらい手際が良かったじゃない、口調までちょっと俺様っぽくなってて」
「そんなことねえよ。俺は、どっちかって言うと――」
言いかけて、いかにもしまったという表情になる。
「どっちかって言うと、何?」
「何でもない」
「もう、その言いかけて途中でやめる癖、直した方がいいよ」
男らしく、言いたいことがあるならはっきり言えば、と詰め寄ると、直人は渋々のように口を開いた。
「どっちかって言うと、俺は、その、……こ、氷で攻められるのとか、目隠しされるのとかの方が、興奮した」
ぼそぼそと早口で言ったあとで、真っ赤になって下を向く。
ああ、そうなんだ……そういうこと。
「もう直人ってば、可愛すぎ!」
あたしは、堪らず直人にしがみついた。
ホントにホント、年上の女の心理というのをよくわかってる。
これがまた、計算でないのだから、末恐ろしい。
「じゃあ、またやってあげるね。今度は、プチSMごっこなんてどう?」
俯いたまま、視線だけを上げてあたしを見た直人は、やっぱりすごく可愛かった。
あたしはどこまで、彼の虜にされてしまうんだろう。
もっともっと溺れてしまいそうで、ちょっと怖い。
でも、まあ……大好きなんだから、仕方がないか。
= fin =


2016年09月02日 Blind Spot トラックバック:0 コメント:0