ご褒美 =2=
目の前で繰り広げられる光景に、俺は相当のショックを受けた。
親しげに肩を叩かれ、修司を見上げたときにちらりと窺い見れた彼女の横顔は、少しはにかみを浮かべたその表情は、恋する少女のものだった。
今まで、彼女がそんな顔をして見つめる相手は、俺ひとりだったはずだったのに。
手を伸ばせば届きそうな、明るいガラスの向こう側が、まるで違った次元に思える。
腸が煮えくり返るとはこういうことを言うのだろう。
無性に腹が立った。
いつからなのか知らないが、従順そうな顔をして俺を裏切っていた佐和子にも、親友面の裏で舌を出していたに違いない修司にも、そして……事実を目の前に突きつけられるまで、佐和子は自分のものだと思い込んでいたお目出度い自分自身にも。
気がつけば、携帯電話を握り締めて、秘書の関口を相手に怒鳴っていた。
午後には大切な会議があるから戻って欲しいと言う関口に対し、そんなことは俺の知ったことかと雑言を吐いて、俺は携帯の電源を切った。
この状態では、仕事など手に付かないことは目に見えている。
まかりなりにも一企業の副社長を務める者として、プライベートと仕事を綯い交ぜにするべきではないことぐらい、俺にもわかっていた。
だが、そのときの俺には自分以外のものを慮る余裕など、微塵もなかった。
そのときの俺は……嫉妬に狂わされたただの男だった。
それから、自分でもよく事故を起こさなかったものだと感心するくらいの滅茶苦茶な運転をして、マンションに戻った。
部屋の中は相変わらずきれいに片付いていたが、さっきの佐和子の様子を見たあとでは、それも何だか白々しく思えた。
何が、幸太郎のために家事をすることが楽しい、だ。
何が、じっと幸太郎の帰りを待っていることが幸せ、だ。
何が、幸太郎以外に欲しいものなんてない、だ。
忠実な犬のように俺を見つめた一途な瞳も、甘い言葉を囁いた小さな唇も、俺の背中を抱きしめ返した細い腕も、彼女の見せた全てがまやかしだったなんて!
彼女に欺かれた事実によって、俺は確かに傷ついていたけれども、その一方で、彼女に許しを請われたら受け入れてしまいそうな気もした。
この期に及んでもなお、彼女を憎むことなどできそうもない。
根底では彼女もまだ俺を愛しているのではないかという希望的観測も捨て切れなかった。
そんな自分は相当の阿呆だと、俺は自分で自分を嘲笑った。
佐和子に出会う前の自分であれば、御崎幸太郎を騙そうなんて小癪な真似をしようものなら、張り手の一発でも食らわせていたところだろう。
否、相手が佐和子でなければ紛れもなくそうしていたに違いない。
彼女に対してそれができないのは、俺がまだ彼女を愛しているからで――。
ああ、俺はなんて女々しい男に成り下がってしまったのだろうか。
こうなるものなら、やはり恋などするべきではなかったのだ、最初から。
どんな事柄にも終わりというものは存在する。
だとすれば、始めるべきではなかった。
たとえ俺が、どんなにか彼女を愛しく思い、手に入れたいと願ったとしても。
そうして、どのくらいの間、ソファに座り込んでいたのだろう。
玄関の方で音がして、はっと顔を上げると、室内には夕陽が射し込んでいた。
「どうぞ、上がってください」
鈴を鳴らすような声は佐和子のものだ。
だが、それに続いたのは……。
「それじゃ、遠慮しないでお邪魔しますよ」
――修司。
その途端、俺の胸中にどす黒い怒りが充満した。
この部屋――俺と佐和子の愛の巣であったはずのこの部屋――に、あろうことか俺の親友を咥え込もうというのか。
冗談じゃない、そんなこと、させてたまるか。
つづく


2016年08月11日 ペットを躾ける10のお題 トラックバック:0 コメント:0