クスリ =1=
先生、遅いな……。
都内の夜景を見下ろすホテルの一室。
さっきからずっと、こんな風にして立ったり座ったりを繰り返しながら、あたしは先生を待ってる。
先生は、同じホテルのどこかで催されている大学の同期会に出席してるはず。
いつもなら、上っ面だけの付き合いなんて面倒だ、とか言って、賑やかな集まりには滅多に顔を出さない先生だけれど、今回は、大学時代にお世話になった教授が退職されるとかで、渋々ながらも出かけて行った。
あたしはと言えば、今回ばかりは2次会以降に誘われても無碍に断れない、何時に戻れるかわからないから、今日ぐらいは真っ直ぐ家にお帰り、そう言う先生に無理矢理頼み込んで、会場であるホテルまでついて来ちゃったというやつ。
夜半をもうとっくに過ぎた時間、先生はまだ戻らない。
あたしがここで待っていることを知っているのに、午前様なんて、なんだかちょっと蔑ろにされているようで面白くない。
それから、先生のプライベートな時間はいつもあたしが独占しちゃってるから、今日くらいは羽目を外させてあげても良いかも知れない、なんて思い直してみたりもする。
でも、最近のあたしは先生に大事にされすぎて、ひとりで放って置かれることなんて滅多にないから、こういう時間にはまだちょっと慣れない。
それに……同期生には当然、女性もいたはずで、そんな人と久しぶりに出会って、昔話に花が咲き、なんてことになっているかも知れないし。
それどころか、大学時代の恋人と再会して、焼けぼっくいに火、とか。
なんて妄想は果てしなく広がってしまうわけで。
はあ……我ながら、なんて情けない想像してるんだろ。
先生が早く帰ってきてくれて、いつもの笑顔でただいまって言って、遅くなってごめんねって抱きしめてくれたら、こんなモヤモヤ全部吹き飛んでしまうのに。
先生が戻ってきたのは、それからまた1時間くらい待ってから。
あたしが先に寝ていたら、戻った時に起こしてしまうのは可哀相だからって、キーを持って出た先生は、そぉっとドアを開けて、そぉっと部屋に入ってきた。
あたしは、部屋のテレビをつけっぱなしにしてベッドでうたた寝をしていたのだけれど、その気配でガバッと飛び起きた。
「あ、ごめん……起こしちゃったね」
眼が合うと、先生はいかにもバツが悪そうに頭を掻いた。
先生のこういう顔、実は結構好きだ。
「ううん、寝てないもん。ちょっとウトウトしてただけ」
両手を差し出すと、側に来てぎゅうっと抱きしめてくれる。
でも、自分の腕を先生の背中に回し抱きしめ返そうとして、ふとあることに気が付いたあたしは、慌ててついと身を引いた。
どうしたのって感じで首を傾げて見せる先生は、お酒が入って少し酔ったりもしているのか、眼の下をほんのりと赤くしてご機嫌な様子。
「……楽しかった?」
「うん? そうだなあ……まあまあってとこだね、久しぶりに恩師の顔も拝めたし。無理やり3次会にまで付き合わされたのには参ったけどね」
おかげでちょっと飲みすぎてしまった、そう言って、先生は屈託なく笑った。
だけど、あたしは先生と一緒には笑えない。
残り香か、移り香か……顔を寄せた先生のスーツから、いつもの蜜柑みたいな先生のにおいの他に、少し強めの香水のにおいがしたから。
「そ、……お楽しみだったんだ、良かったね」
素っ気ないあたしの言い方に何か感じたのか、先生が怪訝そうな顔をする。
「どうかした?」
「別に、どうもしない」
あたしは、ベッドから降りて先生から少し遠ざかろうとする。
先生は、そんなあたしを後ろからふわりと抱きしめてきた。
「もしかして、放って置かれて寂しかった?」
「別に」
「じゃあ、何を拗ねてるの」
「だから、別に何でもないってば」
別に、ばかりで芸がないけど、それ以外に答え様がない。
先生には、あたしの知らない大人の付き合いがあって当たり前だし、今さらそれに嫉妬したって始まらないことなんてわかってる。
そんなことをグズグズ言って、子供っぽい焼きもちだと思われるのも嫌だ。
「困ったな、そんな風に臍を曲げられちゃうと。これでも、次も行こうって誘いをやっとのことで断って、なるべく急いで帰ってきたんだけどね」
先生なら、本当にそうしてくれたんだろうなって思う。
でも、口をついて出た言葉は心とは裏腹。
「そんな必要なかったのに。あたしみたいなお子様のお守りより、香水の似合うオトナの女の人といる方が楽しいに決まってる」
「香水?」
何か思い当たる節があったのか、先生が自分の上着の胸の辺りを嗅ぐ。
それから、唇の端を上げて意味ありげな笑いを浮かべた。
「何かまた、つまらないこと考えた?」
「だって、本当にそういう人と仲良くしてきたんでしょ」
「その言い方は心外だな。確かに、3次会で連れて行かれた店にはホステスの女の子がいたからね、彼女たちの香水が僕にも移ってしまったのかも知れないけど、だからと言って、僕が彼女たちと仲良くしていたとは限らないのじゃない?」
「……」
それは、そうだけど……。
あたしが黙ったままでいると、先生はあたしの耳元に唇を寄せてきた。
「それとも何、君は、僕がそういう女性に食指が動いたと言った方が嬉しいわけ?」
「そんなのは嫌だよ」
思わず即答してしまう。
そんなあたしが、よほど可笑しかったのか先生は声を上げて笑った。
「僕はね、柚月……僕の前を素っ裸の女性が歩いていたって眼に入らないくらい、君しか見えない。僕は心底、君に夢中なんだよ」
先生はあたしの耳朶を甘噛みしながら、「よく覚えておきなさい」と囁いた。
耳が弱いのと、その場にはそぐわない教師口調に、背中がゾクゾクしちゃう。
「ほんとう?」
くすぐったさに首をすくめながら身体を捩り、あらためて先生と向き合う。
先生は、酔いのせいかいつもより煌めいて見える瞳であたしをじっと見下ろした。
「本当だとも」
そして、あたしの唇にちゅっとキスを落とす。
「でなきゃ、こんなところまで連れて来ない。一時も離れていられないのは僕の方かもね」
「んもぉ……」
髪を優しく撫でられて、あたしは早々に降参する。
そんな風に言われたら、許さないわけにいかないじゃない。
先生には敵わない。
こうやって、いつもいつも良いように言い包められてしまうんだから。
つづく


2016年06月08日 微エロ妄想さんに25のお題 トラックバック:0 コメント:0