桜の季節、彼と、彼女と、もうひとり……?
「なんかさあ……春爛漫って感じだよね」
ベランダで、並んで満開の桜を眺めていた弥生ちゃんが、不意に言った。
「うん、そうだね」
あたしは、前を見たままそう答えた。
手を伸ばせば届きそうな、満開の桜。
春らしい、穏やかな陽気。
けれど、微かな風がそよぐだけで、桜ははらはらと花びらを散らしていた。
「制服、可愛いね」
あたしは桜から目を離して、となりに立つ弥生ちゃんを見る。
今日の弥生ちゃんは、紺色のブレザーに、蝶結びにされたグリーンのリボン、タータンチェックのスカートといういでたち。
この4月から、弥生ちゃんは、去年まであたしも通っていた都立高校の2年生になる。
今年から制服がモデル・チェンジされて、セーラー服から流行りのブレザーになったそうで、今日はわざわざ、それをお披露目に来てくれたのだった。
「う~ん、確かに可愛いけどさ。なんか最近、どこの学校でもブレザーじゃん? あたしは、もともとのセーラー服の方が好きだったな、他校からも結構人気があったらしいし」
そうは言いながら、彼女は満更でもない様子でスカートの襞を弄んだ。
「似合うよ、すごく」
「そう?」
肩くらいの長さの髪を明るい色に染め、屈託のない笑顔で笑う弥生ちゃんは、どこから見ても「今時の女子高生」だ。
少しだけ……羨ましいな、と思った。
あたしも、去年の今頃は、新しい環境に期待を膨らませながら、まっさらな制服に袖を通していた。真っ白で、袖のカフスとセーラーカラーに紺色の線が入ってる、お気に入りの制服だった。
桜吹雪の舞う下での入学式、今でも鮮明に覚えてる。
中学時代からの親友の弥生ちゃんとも同じクラスになれて、楽しい高校生活を夢見てた。
でも……。
複雑な家庭環境の中でいろいろあって家出して、学校も、1年の夏休みを迎える前に退学してしまった。
そして、野良犬みたいに繁華街を彷徨っていたところを、幸太郎に拾われて……。
いまさら、それを後悔してるわけじゃない。
だけど、目の前の弥生ちゃんは、いかにも17歳の春を謳歌している様子で。
彼女は、友達を選ぶときに個人的な背景とかをあまり気にしない子だった。
現に、貧しい母子家庭に育ったあたしとも分け隔てなく親しく付き合ってくれた。
だから、こうして住む世界が違ってしまった今でも、以前と変わらず友達でいてくれる。
それは感謝してる。
だけど、彼女を見ていると、あたしは「普通のオンナノコ」じゃないんだって思う。
10歳も年上の男の人に一切の生活の面倒を見てもらってる。
2人の間には肉体的な関係もある。
もちろん、あたしはお金や物質的なもののために幸太郎の側にいるんじゃない、純粋に彼のことが好きだから、いつも一緒にいたいから、ここに住むことを了承した。
幸太郎だって、ちゃんとあたしのことを想ってくれている。
でも、何も知らない世間の目には、やっぱり「囲われてる」ように映るだろう。
不自由なく育って欲しいものは何でも手に入るお金持ちの御曹司と、そんな彼にお金で飼われている卑しい家出少女。
――そう思われても仕方のない生活をあたしは続けていた。
「元の暮らしに戻りたい、とか思ってる、佐和子?」
「え……」
いきなりそんな風に聞かれて、思わず言葉に詰まった。
弥生ちゃんは、そんなあたしの心中を量るような眸で見る。
「学校だって、辞めたくなかったんでしょ、本当は」
「そりゃ、そうだけど……今さら言っても仕方のないことじゃん、それは」
勉強は好きだった。
できることなら、高校は卒業したかったのが本音だけど、家を出たのは自分の意思だし、あたしがいなくなったあとで学校に退学届けを出した母さんを責めるわけにもいかない。
そう言ったあたしに、弥生ちゃんは申し訳なさそうな顔を向けた。
「ごめんね、あたしがこんな格好で押しかけて来たもんだから、佐和子にも余計なこと思い出させたりしちゃって」
「やだなぁ、謝らないでよ。あたし、ここでいつもひとりだから、弥生ちゃんが来てくれるの嬉しいんだよ、ホントに」
慌てて彼女の手を取り、弥生ちゃんみたいな良い友達持って幸せだよ、と言うと、彼女は少し照れたように笑った。
「戻って来るつもりはないの」
「うん……母さんも、どこにいるかわからないし。それに、あたし……幸太郎からは離れられないよ。彼のいない暮らしがどんなものかなんて、もう考えられないもん」
あたしは本気でそう思っていた。
あたしの世界から幸太郎がいなくなる、そんなこと、想像するのも怖かった。
もしそんなことが現実に起こったら、きっと目の前が真っ暗になる。
「……やっぱ、好きなんだ、御崎さんのこと」
「うん……」
あたしは頷いたけれど、本当は、好きだとか愛してるとかいう言葉では伝えきれないくらいの想いがあたしの心の中にはあった。
人間はわりと生命力が強くて、食べるものがなくても、1週間くらいはしぶとく生き続けられるらしい。
でも、ある日突然、あたしの前から幸太郎が消えたら、もうその瞬間からあたしは生きていられないだろう。
太陽のように空気のように水のように、あって当たり前で、けれどなくては生きられないもの。
それが……あたしにとっての幸太郎という人の存在。
「ね、これ、着てみない?」
突然、弥生ちゃんがそう言い出した。
これ、と言うのは彼女が今着ている新しい制服のことだ。
「え、その制服を?」
「そろそろ御崎さんも帰ってくる時間でしょ? きっと驚くよ、佐和子がこんな格好で出迎えたら」
興奮して鼻血出すかもね、弥生ちゃんは悪戯っ子のような表情でそう言った。
「そりゃ、吃驚するとは思うけど……」
今のあたしに、こんな服装が似合うだろうか。
尻込みするあたしに反して、弥生ちゃんはやたらと乗り気だ。
あたしの背中を押して寝室に入ると、さっさと上着を脱いで寄越した。
「良かった、前とあんまり体型が変わってなくて」
そう弥生ちゃんが言う通り、あたしと彼女は背の高さもそう変わらないし、体型も似たようなものだった。
ただひとつ難を言えば、あたしよりも彼女の方が胸にボリュームがある。
あたしには、この貧弱な胸がものすごいコンプレックスだ。
胸の大きい女の人に対しては羨望さえ覚える。
幸太郎が「佐和子の胸は可愛い、自分の掌に収まる大きさがちょうど良い」って言ってくれるから、何とか救われているけど。
弥生ちゃんの制服一式を借りて、ついでにルーズソックスまで履かされたあたしは、弥生ちゃんに姿見の前まで連れて行かれる。
鏡に映るその格好だけでも十分恥ずかしかったのに、弥生ちゃんはあたしの髪をお下げにしようとまで言い出した。
「いいよ、そこまですることないって」
あたしは一応抵抗してみるけど、弥生ちゃんは聞く耳持たない。
もともと手先の器用な彼女、あたしの髪は、あっと言う間にツインテールに結われた。
「おお~、似合う似合う。どっから見ても現役の女子高生じゃん」
ちょっとコスプレ入ってそうなところがまたイイ味出してるよね、と自分は正真正銘女子高生の弥生ちゃんは勝手なことを言った。
ちょうどそのとき、部屋にインターホンの音が響いた。
「グッドタイミング♪ 御崎さん、帰ってきたんじゃないの?」
なんて語尾に♪マークまでつけられても……。
覗いたモニターには、少し疲れてイライラした様子の幸太郎が映ってる。
こんなに機嫌の悪そうな彼を、いくら親友のススメとはいえ、こんなふざけた格好(弥生ちゃん、ごめん!)で出迎えるのは勇気が要る。
いつものように素っ気なく短いやり取りのあとでエントランスを開けた。
幸太郎がこの部屋に上がってくるのを待つ間だけでも、あたしの胸はドキドキとした。
ピンポンとチャイムが鳴る。
あたしは、したり顔で頷いた弥生ちゃんに見送られて、玄関へ向かった。
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま……ったく、世の中にはどうしてこんなに頭の悪いやつが多いんだろうな、聞いてくれよ、今日、会社でな――」
彼にしては珍しく、ドアを開けるなり早口で愚痴をまくし立ててながら靴を脱ごうとしていた幸太郎が、ふと動作を止める。
それからルーズソックスを履いたあたしの足元をじっと見て、ゆっくりと顔を上げた。
「何だ、お前……つーか、なんて格好してんだ、それ」
「弥生ちゃんの学校の新しい制服なんだって、試してごらんって無理やり着せられた」
「弥生? また来てんのか、あいつ」
「うん、今奥にいる。あたしがこの格好で出迎えたら、幸太郎が吃驚するよって言って、さっきからお待ちかねだよ」
あのバカ女、何考えてんだか。
幸太郎は嘆息しながらそう呟くと、そのままずかずかと部屋の奥へ向かった。
あたしが似合わない制服なんか着てるから、怒ってしまったに違いない。
あたしは、弥生ちゃんの誘いに乗ってしまった自分をものすごく後悔した。
「おい、弥生。どういうつもりだ、佐和子にこんな格好させやがって」
「別に? ていうか、御崎さん、あたしが想像した通りに反応してますよ。面白い」
「人の反応見て面白がるな。お前、もういいから帰れ」
それを聞いて、あたしは慌てて2人の間に割って入った。
「ち、ちょっと、幸太郎、弥生ちゃんだって悪気があったわけじゃないし、あたしも久しぶりに学生気分が味わえて楽しかったんだよ。そんなに怒らないでよ」
今度は、幸太郎が怪訝そうな顔をしてあたしを見た。
「ああ? 誰が怒ってるんだよ」
「え? だって、あたしがこんな格好して、似合ってないから怒ってるんじゃないの?」
きょとんとして聞き返したあたしに、弥生ちゃんが吹き出す。
幸太郎も呆れ顔だ。
「佐和子……相変わらず鈍感だねえ、あんたって子は」
鈍感、あたしが?
ますますわけがわからない。
「お生憎様ですけど、今日は泊まるつもりで遊びに来ましたから」
「泊まり? おいコラ、冗談じゃねえぞ。お前、仕組みやがったな?」
「佐和子をオモチャにするのもいいですけど、御崎さんをからかうのも楽しいんですよね」
弥生ちゃんは、悪びれた様子もなくそんなことを言う。
あたしはといえば、2人の間で交わされる会話にまったく付いていけてない。
「とにかく、泊まりってのは許さねえ。今すぐとっとと帰りやがれ」
「今何時だと思ってるんですか。春は変な人も増えるんだから、こんな時間に女の子ひとりで帰らせようなんて、そんなの大人の男の言う台詞じゃないですよ」
うっ、と言葉に詰まる幸太郎。
彼とこんな風に渡り合える弥生ちゃんは本当にすごいと思う。
あたしなら、とっくに言い負かされてるか、一喝されて小さくなってるかのどっちかだ。
「ねえ、喧嘩しないでよ。幸太郎も、この服が気に入らないなら着替えるし」
「ちょっと、佐和子。あんた、御崎さんのこの反応見てホントにそう思ってるわけ? 気に入らないなんてこと、あるわけないじゃないの。この人が、どうしてあたしに帰れ帰れって言ってるのかわかってる?」
「だから、それは……あたしがガラにもない格好したから……」
それを聞いて、弥生ちゃんは「ああ、ダメだこりゃ」と大きく嘆息した。
それから、改めて幸太郎に向き直る。
「御崎さん、よく佐和子のこと持て余しませんね、尊敬しますよ」
「まあな。こんなのと付き合える男は俺くらいのもんだろうな」
……ずいぶんな言われようだ。
ていうか、いつものことだけど、あたしをネタにして盛り上がらないでください!
――で、その夜、ベッドに入ってから。
「御崎さん、今ごろ居間のソファで悶々としてるんだろうなあ」
あたしの隣で横になった弥生ちゃんは、さっきのやり取りを思い出したのか可笑しそうに笑った。
「悶々って?」
「……佐和子、あんたホントに天然だわ。同情する、御崎さんに」
「……?」
窓の外は満開の夜桜。
なんだか差し込む月明かりまでが、ほんのりとピンクがかって見えた。
= fin =
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2016年06月01日 拍手お礼SS トラックバック:0 コメント:0