星に願いを =3=
ある日、私は街に出たついでに、彼の事務所の前まで行ってみた。
私は別に、彼に会えなくても良かった。
ただ単に、彼が毎日通い勤めている場所を、この眼で見てみたかった。
けれど、運命の悪戯というかなんというか、私が建物の前に立って「波多野税理士事務所」と掲げられた看板を見上げているとき、当の波多野さんが現れた。
彼は車のキーを持ち、これからどこかへ出かけるところのようだったけど、そこにいるのが私だと気付いて驚いたような顔になった。
「これは、これは……お嬢さん、どうしてこんな所に?」
まさか、あなたに会いに来ましたなんて言えるはずもなく、私は曖昧に微笑んだ。
「この近くに用があったんですの。通りがかりに、あら同じお名前だわと思って見ていたんですけど、本当に波多野さんの事務所でしたのね。波多野さんは、お出かけですか?」
「いえいえ。実はね、今日はやたらと忙しくて、やっと休憩なんですよ」
そう言って、チラリと腕時計に目をやる。
時刻は2時を少し回っていた。
「そうだ。良かったら、ちょっと付き合っていただけませんか」
「はい?」
「せっかくお会いできたんだから、午後のお茶くらいご馳走させてください。ああ、もちろん無理にとは言いませんが……」
彼の方から、こんな風に誘ってもらえるなんて思ってもみなかった。
私は、内心の喜びが表情に出てしまわないように気をつけながら、素っ気なく答えた。
「お付き合いしますわ」
「良かった、ありがとう。それじゃ、行きましょうか」
彼は、国産のセダン車に乗っていた。
色は濃紺、車内はすっきりと片付いていて、彼の香りがした。
「むさ苦しい車で申し訳ない」
乗り込むとすぐに、彼はそう言って苦笑いを浮かべた。
全然そんなことないのに。
変に高級でも派手でもなくて、普通の車に乗ってるところが彼らしいな思った。
驚いたことに、彼に連れて来られたのは、若い女の子の多いケーキショップだった。
「……意外です。波多野さん、甘いものがお好きなんですか?」
「僕はこう見えてもチョコレートや生クリームには眼がないんですよ。この店は評判が良いから、1度来てみたいと思っていたんですが、やはり男ひとりでは気が引けるでしょう?」
波多野さんは、照れ臭そうに頭を掻きながら笑った。
ああ、そういうことか。
私を誘ったのは、若い女性連れなら、こういう店に違和感なく入れるから。
私は溜息を吐いた……ちょっとでも期待したりしてバカみたい。
「どうしました? いい歳をした男の好物がケーキだなんて、幻滅されてしまったかな」
「そんなことないです……美味しいですね、ケーキ」
自分でも、声のテンションが下がってしまったのがわかった。
波多野さんは、そんな私を不思議そうに見て、それからふっと微笑を浮かべた。
「こういう言い方をしたら失礼かも知れないが、本当にかわいい人だな、あなたは」
「え?」
「思っていることが全部顔に出るでしょう? コロコロと表情が変わって、実に面白い」
思っていることが顔に出る?
冗談じゃない。
私が今、何を考えながらここにいるのか、目の前に座っている人に気付かれてしまったら大変だ。
多分、顔から火が出るどころの騒ぎじゃ済まない。
「からかわないでください。波多野さんも、人が悪いわ」
「これは心外だなあ。僕があなたといて楽しいように、あなたも僕といて楽しんでもらえると嬉しいと思ったのだけれど。ダメかな、やっぱり」
「楽しい……ですか、私といて?」
「ええ、とても。僕はね、火曜日と金曜日、あなたに会えることが楽しくて仕方がない。父はよく、荻野屋のお嬢さんみたいな娘がいてくれたらと言っていたが、僕も同じような気持ちですよ。うちは男ばかりの3人兄弟ですからね、あなたみたいな妹がいたらと思う」
これには、さすがの私も大きく凹んだ。
妹。
仮にも好意を寄せている相手からこんなことを言われたら、私でなくても相当ガッカリする。
むしろ、はっきりと「嫌いだ」と言われるよりも始末が悪い。
「……妹……」
「どうでしょう、これからも時々こうして会ってもらえませんか」
私は、彼の顔を窺い見た。
彼はニコニコしていた。
きっと、私が「妹」と言われて傷ついているなんて、露ほども思っていないに違いない。
本当は、妹なんかじゃなく、ひとりの女として見て欲しいのに。
20歳そこそこの私なんて、彼にとってはまだまだ子供で、恋愛対象にはならないだろうか。
「それとも、こんなオジサンに付き合うのは億劫かな」
「そっ、そんなことありませんっ。私も、お兄ちゃんが欲しかったから――」
妹として、なんて絶対に嫌だって思っていたのに、気が付けばそんなことを言っていた。
「だから、その……旅館の外でも波多野さんに会いたいです、私も」
「そうですか、それは嬉しいな」
波多野さんはそう言って、本当に嬉しそうに破顔した。
やっぱり、このクシャクシャの笑顔は魅力的だなと思った。
それから、私たちは携帯番号を交換した。
お互いに時間が合えば、こうやってお茶したり、食事をしたり、時々は映画を観たり、ドライブに行ったりしようって、約束してくれた波多野さん。
それはまるで、恋人達がデートの計画を立ててるみたいで、私は少しドキドキした。
妹でもいい、彼の側にいれれば。
私はこの時、生まれて初めて、叶わぬ恋というものの苦さを知った。
つづく
2016年04月30日 Addicted To You 番外 トラックバック:- コメント:0