know thyself =3=
夏休みだっていうのに、柚月はほとんど家にいないみたいだった。
今までだったら、俺も部活や合宿で忙しくて、いつも心のどこかで想ってはいてもはっきりと意識に上ってくることは少なかったのに、こうして無駄に時間ができてしまうと彼女のことばかり思い出してる自分がいて少し戸惑う。
今も、あいつと一緒なのかと考えると、走り出したいような衝動に駆られる。
小学校の頃までは、毎年、プールだ海だ山だキャンプだって、いろんなところに一緒に行った。
虫捕りも、宿題も、近所の神社の盆踊りも、花火大会も、毎朝のラジオ体操だっていつも一緒だった。
同じ歳で、誕生日だって俺の方が2週間早いだけ、なのに「直ちゃん、直ちゃん」っていつも俺のうしろをついて歩いて、本当に頼りなくて放って置けなかった。
中学に入って俺が部活で忙しくなっても、俺の親父やお袋に可愛がられ兄貴たちにも懐いてた柚月は、俺ん家に入り浸りも同然だった。
柚月はひとりっこでおまけに両親が多忙だから、寂しいってのもあったんだろう。
家族が多いっていいねって、いつも口癖みたいに言っていた。
練習でヘトヘトになって帰ると、よく台所でお袋と笑いながら夕飯の支度したりしてた。
家族で食卓を囲みながら、「柚月ちゃんはお料理が上手よねえ、きっと良いお嫁さんになるわね」なんてお袋に言われる度に、照れたように頬を染めて俯いていたっけ。
いつか柚月が「お嫁さん」になる、その相手は俺だって、全然普通に思ってた。
そうなるのが当たり前だって、信じて疑いもしなかった。
だから、柚月がうちの学校の荻野に憧れてるらしいってこと、俺だって知らないわけじゃなかったけど、1度も本気で取り合ったことなんてなかった。
「荻野先生って素敵だよね」
なんて、俺も何度聞かされたかわからない。
「趣味が悪いな。お前、あんな野暮ったくて冴えない男が好みなのか?」
そう言って、俺は彼女を笑い飛ばした。
こんなことになるってわかってたら、もっとしっかり捕まえていたかも知れないのに。
まさか、2人が本当に結ばれちまうなんて。
そんなテレビドラマみたいな展開、誰が想像できたってんだよ。
2人の間に何があったのか、俺は知らない。
でも俺が、生きる糧ってくらいに入れ込んでたサッカーに見放されて初めて、本気で柚月に側にいて欲しいって願った時には、柚月はもうあいつのもので。
信じられないって、冗談じゃないって思った。
でも、何で俺じゃダメなんだって問い詰めた俺に、柚月は泣きそうな顔でこう言った。
――わからない。わからないけど……あの人じゃなきゃダメなの。
あたしの全部が、あの人を求めてる。もう、離れられないの。
あの人の愛が欲しいの。
その時に、負けたって思った。
こいつは、もうどんなに望んでも俺のものにはならない。
なのに……いざという時に自分がこんなに情けない男だったなんて。
気が付けばこんなことを言っていた。
「でも俺、柚月を好きでいることは止めないから。ずっとずっと、お前のこと見てるから。あいつに酷いことされたり、辛いことや悲しいことがあったら、頼りにして欲しい」
自分を振った女に向かって、何カッコつけてんだって、自分で自分に呆れた。
誰の目から見たって、とんだお人よしの道化者だ。
でも、その時の俺は、それでも良いと思ってた。
たとえ彼女が俺のものにならなくても、側で見守っていられればそれで良い。
今となっては、そんなことを言ってしまった自分を少し悔いてる。
あれから柚月はどんどん綺麗になって。
いつかの悠人兄さんの台詞じゃないが、見るからに女っぽくなった。
悔しいけど、愛されてキラキラしてるのがわかる。
そして、彼女を花開かせたのが俺じゃないってことが、余計に悔しい。
諦めちまえばいいんだ、もう。
2人で勝手にやってくれって、あいつに引導を渡しちまえばいい。
でも、十何年も片思いし続けてきた相手のこと、そう簡単に忘れられっこない。
それは未練かも知れないし、俺の意地なのかも知れない。
* * * * *
悠人兄さんからのお達しで、この店のバイトを始めてから2週間になる。
楽な仕事だよと兄さんは笑っていたけど、はっきり言ってキツかった。
仕事の内容はいわゆる雑用や使い走りで、体力的にも自信があった俺にはたいして苦にもならなかったが、「他人の性欲処理の後始末」というのをやらされているのが、精神的にかなりの苦痛だった。
ここは、金を払って女を買い、擬似恋愛感情に基づいて性的交渉を持つ場なのだ。
しかし、擬似的ってのは何なんだ……男ってのは、そんなにさもしい生き物なのか。
なんと言ってもこの店は悠人兄さんの経営するチェーン店だし、こういう商売が成り立つこと自体は否定するつもりもない、だけど……自分は嫌だ、と俺は思った。
どんなに切羽詰ったって、好きでもない女となんてヤリたくない。
そんな虚しい真似をするくらいなら、自分で抜いた方がよっぽどマシじゃないか。
今、ホテルのロビーみたいな待合室の豪華なソファに座って脚を組んでいるこの男。
こいつも、週に2回はここに来て、必ず亜紗妃ってソープ嬢を指名する。
見た目は普通のサラリーマンって感じだし、この容姿なら全く女にモテないわけでもないだろう。
なのにどうして風俗通いなんだ、さっぱりわからない。
よっぽど、あの亜紗妃って女に魅力があるのか。
彼女が待機している部屋のインタホンで、指名客が来ていることを伝えると、「今、行きま~す」といつも通りの甘ったるい鼻声が返って来た。
しばらくして、待合室の入り口に彼女が姿を見せた。
身長は160センチあるか無いかで、そんなに高くはない。
でも、顔が小さく手足が長いせいで、立ち姿はスラリとして見える。
どちらかと言えば童顔なのに、ぽてっとした唇がやけに肉感的で眼を惹く。
体型がほっそりとしている割りに胸がデカくて、こういう体型を男好きがするって言うんだろう。
こいつはこの店のナンバーワンで、文字通りの稼ぎ頭らしい。
雑誌などマスコミへの露出も多く、この亜紗妃のおかげで店の知名度もずいぶんと上がったそうだ。
男と腕を組んで待合室を出る時、彼女は俺に向かって片目を瞑って見せ、「じゃあね、直人」と小さく手を振った。
……馴れ馴れしいやつ。
何日か前、休憩時間に非常口に出て涼んでいたら、いきなりあいつが現れた。
この店の制服でもあるベビードールに、バスローブを纏っただけの格好で。
名前を訊かれて梶井だと名乗ったら、そうじゃなくて下の名前を教えろと来た。
まあ、別に隠すものでもないからと正直に答えたのが悪かったのか、それ以来、あいつは俺のことを「直人」と呼び捨てにする。
最初のうちは、呼ばれる度に気安くするなと諌めてもみたが、一向に堪えていないようなので諦めた。
こちらが気にしなければ済むことだ。
俺はカウンターの内側に埋め込まれた小さなモニター画面に目をやった。
そこには、犯罪防止やソープ嬢に対して客が粗暴な行為に出た場合などに備えて、各部屋に取り付けられた監視カメラの映像が映し出されている。
もちろん、亜紗妃の部屋を映すものもある。
部屋に入るなり、男に腕を引かれ抱擁を交わす2人。
そして、恋人同士のような濃厚なキス。
唇を離した後で彼女が微笑みながら何か言い、男の背広に手を掛ける。
俺はモニターを眺めるのを止めた。
何が擬似恋愛だ、くだらない。
金で買える愛などあるわけがない。
柚月……。
お前は今頃、何をしている?
好きな男の腕の中で、俺のことなんて思い出しもしないんだろう。
悔しいけど、それがお前の幸せなんだな。
ああ、なんか惨めだ、俺。
突然、叫び出したくなって頭を抱えた。
自分がどんどん情けない男になっていくような気がする。
この店に来る男達を馬鹿になんてできない。
例えば、金を積んで柚月の愛が手に入るなら、俺は迷わずそうするだろう。
ふと、何かを感じてモニターに視線を戻す。
床に敷かれたマットの上、泡に塗れた男と女。
男の腹の上に乗った女の顔がこちらを向いている。
いや、違う……監視カメラのレンズを見ている?
一瞬、カメラのレンズを通して、見つめ合っているような錯覚を起こしそうになった。
切なげに眉を顰めた亜紗妃の唇が、何かを言いたげに小さく開く。
「ナオト」
そう呼ばれたような気がしたが、確信はない。
次の瞬間、彼女は――白い喉を仰け反らせて、男の胸に倒れこんでしまったから。
つづく


2013年02月01日 know thyself トラックバック:- コメント:0