弥生ちゃんのひとりごと =2=
夏休みももう終わりだっていうのに、翌日は朝からものすごく暑かった。
遅く起きたあたしは、朝食と昼食を一緒に済ませてから家を出て、佐和子に告げられた場所の最寄り駅までは、1時間半くらいかかった。
東京のど真ん中。
最近のバブル景気で、地価がものすごく上がっている地域だ。
駅前を過ぎ、閑静な住宅街を5分も歩くと、目的の場所に着いた。
でも……。
「ここ?」
都内とは思えないほどの緑に囲まれた背の低いマンション。
来てみて初めて気がついた。
このマンション、テレビのワイドショーで観たことある。
マンションの層は低いのに、家賃はそれに反比例してものすごく高いんだって、レポーターが皮肉を言っていたっけ。
おまけに、これだけ立地条件が良いのに、居住者の住環境を乱す恐れがある、とか何とかの理由で、芸能人や有名人などの入居は一切お断りなんだとか。
つまり、ここに住んでいる人たちは文字通りの「ハイソ」な人種ばかりということだ。
こんなところに、本当に佐和子が住んでるの?
確か、部屋は5階だと言っていた。
エントランスのパネルを見ると、501号室のところに「松原」と名前が出ている。
半信半疑でインターホンのボタンを押す。
「はい」
「あ、あのぉ……」
「あ、弥生ちゃん!」
どこかに訪問者を確認するカメラでも付いているのか、佐和子は、訪ねて来たのがあたしだとすぐにわかったようだった。
「今、開けるからそのまま上がって来てね。うちは南の端っこだから」
言い終わると同時に、佐和子が階上(うえ)で何か操作したのか、エントランスの重い扉が、ひとりでにガラガラと開いた。
さすがは高級マンションだと思った。
言われた通り、エレベーターで5階に上がり、501号室のチャイムを押す。
「は~い」
声と同時に、レモンイエローのサンドレスを着た女の子がドアを開けた。
この部屋の人かな、何て言おうか、と考えていると、相手の方が先に言った。
「いらっしゃい、弥生ちゃん。本当に、お久しぶりだね」
「え……もしかして、佐和子?」
彼女は、答える代わりにニッコリと頷いて見せた。
なんだかすごく垢抜けちゃって別人みたいだけど、人懐こい表情を浮かべて笑っている顔は、確かに佐和子だ。
「ごめん、全然わかんなかったよ」
以前から可愛い子ではあったけど、なんて言うか、自分から壁を作ってるみたいでなんとなく近寄り難い感じがあったのに、目の前の彼女からはそういう雰囲気を全く感じない。
いつも憂いを含んだようだった漆黒の瞳も、今はキラキラと明るく輝いてる。
上手く説明できないけど、以前の儚げな彼女とは全く別のオーラが、全身から発散されてる感じだ。
「今日は、来てくれてありがとう。ね、入って入って」
言いながら、佐和子があたしの腕を取る。
「ここって、佐和子んちなの?」
「う、うん……まあ、そんなとこ」
佐和子は、なぜか曖昧に笑って言葉を濁した。
ちょっと気になったけど、玄関先で話すようなことでもないと思い、「お邪魔します」と言いながら、出ていたスリッパを履こうとしたあたしを、佐和子が止めた。
「あ、それは違うの。お客様用は、こっち」
佐和子は、そう言いながら真新しい1足を取って置いてくれる。
佐和子の足元を見ると、彼女はもうスリッパを履いていて、じゃあ、これは誰のと不思議に思った。
通されたリビングは広くて明るくて、そこで、大きなソファを勧められた。
座ると身体が沈んじゃうほどふかふかしてて、ものすごく座り心地が良い。
あたしをリビングに残したままキッチンへ行き、しばらくしてお茶の用意をして戻って来た佐和子は、テーブルの上に紅茶の入ったカップを置いてから、自分も腰を下ろした。
「弥生ちゃん、今日はわざわざ来てくれて本当にありがとう」
「わざわざってほどのものでもないよ。それに、あたしも佐和子に会いたかったし」
「2ヶ月くらいかな、会ってないの?」
「そうだね」
「弥生ちゃんは変わってないね。ああ、ちょっと焼けた?」
「うん、この間、友達と海に行ったから。佐和子は、変わったね。すごい綺麗になっててビックリしちゃった」
佐和子は、「そんなことないよ」って言って、恥ずかしそうに俯いた。
彼女が紅茶を飲んだので、あたしもつられてカップを手に取る。
わあ……このカップ、「
MISAKI」だ。
実物は、デパートの高級食器のコーナーでしか見たことない。
もちろん、実際にそれを使ってお茶を飲むのなんて初めてだ。
こんな高級マンションに住んで、こんな高級品を普段使いするような生活をしている佐和子。
今着ている洒落たワンピだってきっとブランド物だ。
あたしは感心する、というより少し呆れて、あらためて室内を見回した。
「佐和子、こんなこと言ったら失礼かも知れないけど、すごいところに住んでるね」
「え?」
「だって、このマンションの家賃って、すごく高いんでしょう?」
「ああ……やっぱりそうなんだ。あたし、あんまりよく知らないんだけど」
何、それ?
住んでる本人が家賃がいくらかも知らないなんて、そんなのあり?
「だって、ここ、佐和子の家なんでしょ? 松原って表札出てたけど」
「そうなんだけど、実際にここを契約してるのは、あたしを置いてくれてる人だから」
「誰かと一緒に住んでるの?」
「う、うん……」
彼女は小さく頷いただけで、また言葉を濁す。
佐和子は、幼い頃から母子家庭で、ずっと母親と2人で暮らしてきた。
もしかしたら、お母さんがお金持ちの人と再婚でもしたんだろうか?
ううん、違う……多分相手の人には妻子があって、お母さんはきっと愛人なんだ。
もしそうなら、佐和子だって堂々とは言い難いだろうし、表札が「松原」なのにも納得がいく。
つづく


2012年12月02日 ill-matched ? 番外 トラックバック:- コメント:0