ill-matched ? =25
「……佐和子……」
誰かに、呼ばれた?
でも誰が。
この世に、あたしを必要としている人なんていないはず。
「佐和子」
今度は、はっきりと聞こえた。
あたしの心を縛り付ける強い声。
そう……縛り付けて離さないでと願ってしまう強くて優しい声が。
そして、あたしはゆるゆると眼を開けた。
「泣いてたぞ、お前」
眼の前に幸太郎の顔がある。
涙で濡れた眦を指で拭ってくれる。
これも……夢の続き?
あたし、自分に都合のいい夢を見てるの?
「こ、たろ……」
「夢でも見てたのか?」
幸太郎……笑ってる。
優しい指が頬に触れて、顎の線をなぞって、唇に辿り着いた。
人差し指の背をそこに押し付けて、自分の唇に持っていく。
「おはようのキス、なんてな」
一気に頬が熱くなった。
「……いつから起きてたの?」
「さあね」
からかうように小さく笑いながら、目線はあたしから逸らさない。
そんな眼で見つめられたら、あたし……。
「あたしのこと、ずっと見てたの?」
「すげえかわいかった、お前の寝顔」
「やっ、変なこと言わないで! 信じられない、もう……」
恥ずかしくて毛布をかぶる。
心臓、ドキドキする。
子供をからかって何が楽しいんだろう、この人は。
「なに照れてんだよ。好きな男に寝顔見られたくらい、どうってことねえだろ?」
そんなこと言って!
好きな人だから恥ずかしいのに!
「なあ……佐和子」
もう嫌、声を聞くのも苦しくなる。
胸が破裂しそう。
「好き」が溢れちゃいそう。
毛布から頭を出して、また眼が合った。
「もう1度言えよ、昨日みてえに」
「な、何を?」
「俺を好きだって。ちゃんと俺の眼を見て言え」
よりにもよって、朝から、しかもベッドの中で向かい合って?
恥ずかしすぎる、照れ臭すぎる、この状態でそんなこと言えない。
「ほら、早く」
顎を掴まれた。
それから無理やり顔を幸太郎に向けられて。
「……す、……」
「聞こえねえな」
「好き」
「誰が、誰を?」
意地悪だ。
ここにいるのは誰と誰?
そんなのわかってるくせに。
「あたしは……幸太郎のことが、好き……」
「……佐和子」
いきなり抱きしめられる。
すごい力で……苦しい……息、できない。
「もっと言えよ」
「ん……は、好き……幸太郎、大好き……このまま、ずっと……」
「俺も好きだよ、佐和子」
背骨、折れそう。
ああ、でも……心地良い……強い腕が、広い胸が、あたしを包んで……幸太郎の鼓動も早鐘みたい……あたし達、今すごく近くにいる。
幸太郎の顔が近づいてくる。
すごく端正な造り……きれい、見てるだけでドキドキする。
「ぁ……」
今、触れ合ってる、あたしと幸太郎の唇。
舌先? 唇の隙間をそっと撫でてる。
気持ちイイ、頭の中がぼうっとする。
「ん、ん……」
自分のものじゃないような、甘い声が洩れてしまう。
でも、これよりもっと激しいキスがあること、あたし知ってるよ。
お互いの舌を絡めたり、顎や歯の裏を舐めたり、お互いの唾液を……飲んだり。
愛し合う者同士のキス……そういうキスを、幸太郎もくれる?
「好きだよ」
囁いた幸太郎の唇が離れていく。
もう、終わり?
「何だよ、まだ物足りねえって顔してるぞ?」
「ち、違……う」
本当は違わない。
足りないもん。
もっともっとして欲しいもん。
あたしがよほど物欲しそうな顔をしていたのか、苦笑しながら幸太郎が言う。
「激しいキスも、教えてやるのは簡単だけどな。俺、もっと大事にしてえんだ、佐和子のこと」
「あたしの、こと?」
「ああ……男は本気になるほど臆病になるものだって、何かで読んだことあるけど……それって本当だって今わかった」
本気って……幸太郎が本気であたしのこと好きだってこと?
そんな夢みたいなこと、本当に起こって良いの?
「あたし、なんだか怖い」
「なんで」
いかにも心外だという顔で幸太郎が聞く。
そんな顔しないで。
あたしが怖いのは幸太郎のせいじゃない……きっとあたし自身が恵まれなかった生い立ちの、因果みたいなもののせい。
「小さい頃からずっとそうだった。何か良いことがあった後には、絶対にその何倍も嫌なことがあって。その度に、人生は甘くない、辛いものだって悟らされてきたの」
声が震えて、思わず幸太郎の着ていたバスローブの胸の辺りを掴む。
幸太郎は、その手を包み込むようにして握ってくれる。
温かい掌。
「あたし、今すごく幸せで……多分、今まで生きてきた中で1番に幸せで……もしそうだとしたら、この後にやってくる不幸はきっと……そう思うと怖いの。幸せなんてホントはものすごく儚い……だから……」
泣かないでいようと思っていたのに、涙が一筋流れた。
幸太郎の唇が、その涙の上に降りてくる。
濡れた跡を拭うような優しいキスが、何度も、何度も頬に落ちる。
「幸太郎……」
あたしは心からこの人のことを好いている。
改めてそう思う。
「2度とそんなこと言わせねえ。お前のことは俺が幸せにする。他人が羨むくらい、いつか日本一、いや世界一幸せだと言わせてみせる。だから、もう泣くな」
頼むから、と幸太郎が言う。
お前の涙を見ると俺まで辛くなるから、と。
それならば、あたしはもう2度と泣いてはいけない。
幸太郎に辛い思いをさせてはいけない。
涙など耐えることができる、幸太郎のためなら。
「大好き」
何度でも言える。
あたしは幸太郎が好き、大好き。
何も持っていなかったあたしが初めて手に入れたもの、それがあなた。
宝石みたいに美しい、あなた。
「離さねえ、何があっても」
「うん……離さないでいて、ずっと」
キスして欲しい、もう1度。
そう思って瞳を閉じた。
その時。
RRRRR……。
なんて無粋な電話のベル。
でも、受話器の向こうの人にはこちらが見えないのだから仕方がない。
幸太郎は、腕を伸ばしてサイドテーブルの電話を取った。
つづく


2012年11月17日 ill-matched ? トラックバック:- コメント:0