calm =1=
大きな波に乗る、あいつ。
毎日、ここから見えるあいつの姿、見慣れすぎてもう景色の一部になりつつある。
何度も何度も、ホント、よく飽きないなあ。
1日中ああして潮水に浸かっていたら、そのうちふやけちゃうんじゃないかしら。
日本列島の南の端っこにあるこの島で、あたしのお父さんは小さなコテージ(といえば聞こえが良いけど実際は民宿みたいなものだ)を経営してる。
あいつは、今となってはここにヤモリみたいに住み着いている正体不明の男。
毎日毎日、朝から夕方まで、することと言ったらサーフィンばかり。
何でも、サーフィン三昧の生活をするのが夢でお金を貯めて、その貯金が底を尽くまではここに居座るつもりらしい。
まったく、世の中にはいろんな人がいるものだ。
あたしのお父さんにしても、もともとは鎌倉出身の平凡なサラリーマンだったんだけど、無類のサーフィン好きが高じて、脱サラしてサーファー向けの宿を開いちゃったっていう変り者。
で、その物好きなお父さんに連れられて、この島にやって来たあたしとお母さん。
はっきり言って、仲の良かった友達とも離れて、こんなクソのつく田舎に連れて来られたときには親を呪ったけど、2年も経つうちにここでの暮らしにも慣れた。
今じゃ、あたしも立派なこの宿の「看板娘」だ。
自慢じゃないけど、あたしをお目当てにここに通ってくれる人も多いらしい。
でも、あいつはあたしにあんまり興味を示さない。
とりあえず、顔を合わせれば挨拶するし、世間話だってするし、軽い冗談なんかも言う。
でも、他のお客さんみたいに「デートしようよ」とか、そういう誘いは一切なし。
別に誘って欲しいってわけじゃないけど、言ってみれば「ひとつ屋根の下」で暮らしてるのに、それっぽいアクションを全く起こされないのもちょっと虚しい。
この島には高校がないから、あたしは毎日、定期運行船に乗って本島へ通ってる。
船の運行時間は限られているから、学校帰りに友達と一緒に遊んだりなんてできない。
でも、凪いだ海を眺めながら、コテージのデッキで過ごす夕暮れとかが、実は結構好き。
海は、その日その日の天気や風向きひとつで表情を変えるから、飽きるってことがない。
こういう暮らし、都会じゃ絶対に味わえない。
役得だと思って楽しまなくちゃ損だ。
その日も、あたしは定期船から降りて、家までの海岸沿いの道を、ひとりでブラブラ歩いてた。
うしろから、チリンチリンとベルを鳴らされたのはそのとき。
振り返ると、ママチャリに乗ったあいつがニコニコ顔で笑ってた。
「お帰り、七海ちゃん」
真っ黒に日焼けした顔、白い歯。
お前はチャモロ人かと突っ込みたくなるくらいの屈託のない笑顔。
前かごに置かれたビニール袋からは、大根と長ねぎが突き出てる。
「幾島さん、何やってんですか、こんなとこで」
幾島、というのはあいつの苗字。
一応はお客さんだからちゃんと「さん付け」で呼ぶ。
「おばさんに夕飯の買出し頼まれよって、今がその帰りや」
神奈川生まれの関西育ち、という幾島さんは、面白いアクセントで喋る。
「お母さんに? やだ、お客さんにそんなの頼むなんて、何考えてんだろ」
もう、とあたしが膨れて見せると、幾島さんはくしゃっと破願した。
「俺はもう家族の一員みたいなもんやから、ちゅうのが理由らしいで。俺もこのままスタッフで雇ってもらおくらいは企みよるから、それもええんやけどね」
それから、「乗ってくか?」とうしろの荷台を示す。
学校帰りでお疲れモードだったあたしは、もちろん喜んでその申し出に甘えさせてもらった。
荷台に横座りして、幾島さんの腰に腕を回したのは必然、だったはず。
でも、思ったよりも細い腰つきに驚いた。
サーフィンをする人は、みんなスタイルがいい。
背中と肩と胸に綺麗な筋肉がついて、でもお腹と腰はきゅっと締まってて、中には見惚れちゃうくらいの人もいる。
幾島さんも、毎日あれだけ波に乗ってるんだもの、きっとスマートなんだろうな。
なんてことを考えながら彼の背中を見たら、なんだかちょっとドキドキしてしまった。
ペダルを漕ぎながら、幾島さんは陽気な声で何か話していたけど、どんな内容だったのか覚えてない。
多分、彼のことが気になり出したきっかけがあるとしたら、それは絶対このときだったと思う。
つづく


2012年08月31日 calm トラックバック:- コメント:0