Precious Delicious =4=
その夜、あたしは蒼の部屋のリビングで、テレビの画面を観るとはなしに眺めながら、相変わらず遅い彼の帰りを待っていた。
深夜バラエティーの大して面白くもないギャグが切れ間なく聞こえてくる。
あたしは、リモコンで煩いテレビの電源をぱちっと切った。
蒼が帰ってきたのはそれからまたしばらく経ってからだ。
玄関からの廊下とリビングを仕切るドアを開けた彼に向かってお帰りと言うと、蒼は思いのほか嬉しそうに笑ってくれた。
「来てたんだ。最近、スケジュールが過密気味で疲れてるからさ、朝出かけるとき、電気もテレビもつけっ放しで出たのかと思って焦った、ボケるにはまだ早いだろって」
それから、着ていたジャケットを脱ぎながら、少し心配そうな顔になって、言う。
「でも、そろそろ帰らないとまずくないか、明日、学校だろ?」
「それは大丈夫、明日ね、私学協会の何とかで、うちの学校が使われることになったらしいの、だから臨時のお休みなんだって」
「そっか、ならいいけど」
そう言ってやっと安心したような表情を見せると、蒼はソファの背もたれ越しに身体を屈めて、そこに座るあたしに短めのキスをくれた。
「疲れてるでしょう、お風呂、入れようか?」
「ありがとう、でも……なんか今日はもうヘとへとって感じで、バスタブに浸かったら寝ちゃいそうだから、シャワーだけにしておくよ」
「ああ、そうだよね。じゃあ、その間にコーヒーでも淹れておく?」
「う~ん、今夜のところはそれもいいや、正直、早いとこ横になって休みたい」
「……わかった」
しぶしぶのように頷いたあたしの頭を軽くひと撫でした蒼は、再び、リビングのドアの向こうへ消えた。
国民的アイドルと呼ばれる蒼のスケジュールは、文字通り分刻みだ。
売れっ子タレントの宿命なのかも知れないけど、深夜2時までテレビの収録をして、翌朝は5時からドラマのロケ、なんて日程もよくある。
寝る暇もないとはこういうことを言うんだろう、と蒼の働きぶりを見ていると思う。
そんなに無理しないでやりたくない仕事は断ればいいのにとあたしが言ったら、まだまだ仕事を選べるほど偉くないよと笑っていた。
誰もが認める有名人で、少なくとも芸能界の中では頂点を極めたように見える彼でも、実際には、事務所の力関係とか、現場の人間関係とか、先輩後輩の上下関係とか、いろいろとしがらみがあって思い通りに行かないことの方が多いらしい。
華やかに見えても所詮は身体を張った肉体労働だ、好きでなきゃ続かない仕事だよ、と蒼のマネージャーである桂木さんが言っていたのも頷ける。
あたしはパジャマ姿でベッドに腰掛け、蒼が戻ってくるのを待つ。
お泊りセットっていうのかな、いつ泊まっても良いように、寝巻きや下着、洗面用具や化粧品なんかは、一通りここに置いてある。
蒼のプライベートな空間であるこの部屋に、自分の私物が増えるのは嬉しい。
だって、そういうのって蒼の私生活を彼とあたしで共有しているような気分になるから。
蒼は、ヘンリーネックの長袖シャツに半パンツという格好でお風呂から上がってきた。
まだ湿っている長めの前髪を掻き上げながら、あたしのとなりに腰を下ろす。
片手で肩を抱かれ、もう片方の手で軽く顎を持ち上げられる。
そして降りてくる優しいキス。
けれども、あたしが唇を開いてそれに応えようとすると、彼はつっと身を引いてしまった。
「……ん、…蒼?」
「あ~、マジ、もう限界、超ねみ~」
欠伸交じりでそう言うなり、ベッドにごろりと寝転がる。
同時にぐいと腕を引かれ、あたしも彼のとなりに並んで横になった。
「蒼……」
確かに、間近で見る彼はずいぶんと疲れた顔をしていた。
あたしは、自分がこの場にいることを彼に少し申し訳なく思う。
「ごめんね、疲れてるのに押しかけて来たりして……あたし、迷惑だったら帰るよ?」
あたしがそう言うと、彼は両腕をあたしの身体に巻きつけて、ぎゅうっと抱きしめてきた。
「だめ、絶対に帰さない」
「でも……」
「迷惑なんてことあるわけない、来てくれてマジ嬉しい……藍がとなりにいると思うだけで心が休まるよ、今夜は久しぶりに良い夢見れそう」
蒼は目を閉じたまま言って、あたしの頭を自分の方へとさらに引き寄せる。
あたしの身体は、蒼の胸にすっぽりとはまり込む。
「朝までずっと一緒にいて、いつかみたいにいなくなったりしないで」
「……大丈夫だよ、あたしはずっとここにいるよ、だから心配しないで、ゆっくり休んで」
「ん、藍、…すっげ好き……」
最後の台詞は寝言のようにも聞こえた。
あたしも、好き……大好きだよ、蒼……。
こんなときでも、蒼があたしを必要としてくれることが、なんだか誇らしい。
抱き合わなくてもいい、こうして夜を一緒に過ごせるだけで、幸せ。
あたしは、蒼の胸に耳をぴったりとつけて、彼の鼓動を聴く。
そして、その温かい音を子守唄代わりに、やがて眠りに引き込まれた。
つづく


2008年01月01日 Precious Delicious トラックバック:- コメント:-