一足早いバレンタイン、プレゼントは初めての……。
「いらっしゃい」
玄関のドアを開けながら彼が言う。
部屋を訪れたあたしを、彼が笑顔で迎えてくれる、この瞬間が結構好き。
「あ、はい……お邪魔します」
玄関先で軽くお辞儀をするあたしに、今日はずいぶんと畏まっているね、と彼は笑った。
彼がドアを閉める音を背中で聞きながら、広めのワンルームに足を踏み入れる。
「ちょうど良かった。今、コーヒーを淹れようと思っていたところなんだ、一緒にどう?」
キッチンカウンターの向こうから声をかけられて、あたしは小さく頷いた。
その言葉通り、パーコレーターからはいい香りが漂っている。
仕事先ではインスタントばかりだから、自宅でのんびりするときくらいは美味いコーヒーが飲みたい、と言うのが口癖の彼が淹れるコーヒーは、とても本格的。
あたしは、もともとコーヒーや紅茶にはお砂糖もミルクも入れないけど、本当に、そうするのがもったいなくなってしまうくらいの美味しさだ。
あたしは、大きなテレビの前に置かれたソファに座って、彼を待つ。
間もなく、両手にマグカップを持って現れた彼は、低いテーブルの上にそれを置くと、あたしのとなりに腰を下ろした。
「あ、あの……ごめんね、たまのオフなのに押しかけて」
そう言って顔を上げたあたしと目が合うと、彼はいつも通り微笑みながら首を傾げ、こらとあたしの額を人差し指の先で小突いた。
「そんな、まるで俺が君を歓迎していないような言い方をしないの」
「だって、せっかくのお休みだもの、誰にも邪魔されずゆっくりしたかったんじゃない?」
「ここで俺が、その通りだよと言ったら落ち込むのだろ?」
「それは、そうだけど……」
続く言葉が見つからずに黙ると、彼は苦笑しながらあたしの肩を抱き寄せ、つむじの辺りに軽く口づけた。
「来てくれて嬉しいよって、言って欲しいなら素直にそう言えばいいのにねえ」
笑ったままの声で言い、それからぎゅっと抱きしめられる。
「それで? その貴重なオフ日にわざわざ訪ねてきた理由は?」
意地悪なことを言いながらも、背中に回された腕は優しくて、耳元に落ちる声は甘い。
だから、あたしも少し甘えて彼の胸に寄り添った。
「実はね、渡したいものがあって」
「渡したいもの?」
「うん、ほら……もうすぐ、バレンタインだから」
「バレンタイン?」
呆れた様子の彼が、怪訝そうにあたしの顔を覗き込む。
「ずいぶんと気が早いな、まだ先の話じゃないか」
「それはわかってるんだけど、当日は、きっと数え切れないくらいのチョコやプレゼントをもらうでしょう、だから……」
彼が人気者なこと、ちゃんとわかってるつもり。こんな風に、2人きりで親密なときを過ごしていても、彼は決してあたしひとりのものじゃない。
去年のバレンタインだって、トラックの荷台いっぱいのチョコに埋もれて、楽しそうに笑っている彼の写真を雑誌で見た。今年もきっと同じようなものだろう。
でも、だからといって、あたしからのプレゼントまで、そんなたくさんの中のひとつになってしまうのは嫌だった。
彼が、……ほんの少しでも、あたしを彼の特別だと思ってくれているのなら。
「おっ、マフラーだ、もしかして手編み?」
彼は、あたしの差し出した小さな包みを開き、嬉しそうに破顔した。
そんな顔をされちゃうと、あたしの方が面映くなる。
「うん……たいしたものじゃなくて、悪いけど」
「黒、じゃないよね。紺、…ていうより藍色か」
「う、うん……」
あたしは、決まり悪くなって俯く。
手編みなんて初めてで編み目だってバラバラ、それが目立たないように濃い色を選んだことも、彼にはお見通しかも知れない。
「気に入らなかった?」
「いや? 渋くて良い色、俺は結構好きだよ。でも……」
あたしのプレゼントしたマフラーを首に巻きながら、彼は少し困った顔をして、一方の端をあたしの首にも巻きつけた。
「これ、ちょっと長くない?」
……確かに。
編み物って、やってみてわかったんだけど、始めると手の方がのめり込んでしまって容易には終わらせることができない。
おまけに、大好きな人へのプレゼントだと思えば、自然と熱も入る。編み目のひとつひとつに想いを込めて編むうちに、気がつけばだいぶ長いものに仕上がってしまっていた。
なんて、本人を前にしたら言えないんだけど。
「ああ、でも……こんな風にひとつのマフラーを2人で巻いて街を歩くっていうのも、恋人っぽくていいかもね」
「冗談でしょ、そんな場面を写真に撮られて週刊誌にでも載ったら大変じゃない」
本人よりも慌てたあたしに、彼はくすくすと声を立てて笑った。
「それを言うなら、俺が手編みのマフラー巻いてるってだけで、十分ネタになるよ」
「あ、そうか……じゃあ、無理して使わなくてもいいよ、気がつかなくてごめん」
ちょっと残念だけど、彼の言う通りだ。
手編みというだけで、贈り主は誰とか、きっとあれこれ詮索されるに違いない。
そんなあたしの頭を、彼は宥めるようにそっと撫でた。
「謝ることなんてないだろ、もらった本人は喜んでるんだからさ」
「う、うん……そう言ってもらえると嬉しいけど」
「表を堂々と巻いて歩けないなら、こうやって使うのはどう?」
彼は、あたしの首に巻かれたマフラーの端を、くいと軽く引っ張った。
それにつられるようにして、あたしは彼の方へとさらに引き寄せられる。
「いっそ結んでしまおうか、君が俺から逃げられないように?」
「逃げたいなんて、思ったことないよ」
「ふぅん……じゃあ、こうしたらどうだろう」
思わせぶりな笑みを唇の端に浮かべながらゆっくりと体重をかけてきた彼に、だんだんとソファへ押し倒される格好になる。
ついでにわき腹のあたりを擽るように触れられて、あたしは思わず身体を捩った。
「や、…だめ、そ……」
「だーめ、逃がさないって言ったろ」
「蒼ぉ……」
こういうときの彼は、どんなに抗ってもそうすることを止めてはくれない。
あたしだって、本気で嫌だなんて思ってない。
ただ、快楽へと流されてしまうその一瞬に、いつもほんの少し戸惑うだけ。
すると彼は、どんな人でも魅せられずにはいられないほど艶めいた笑顔で、言った。
「君の名前と同じ色のマフラーで、俺の心も縛りつけて……染めてしまってよ、藍色に」
そんな彼の囁きを、これ以上ないほど幸せな気持ちで聞く。
ココロが、好きな人の色に染まるものなら、あたしのココロはきっと澄んだ青。
蒼という、彼の名前と同じ色。
= fin =


2017年03月01日 拍手お礼SS トラックバック:0 コメント:0